杢ログ-Mokulog-

杢ログは三代目!!!

「食べられない子もいるんだから!」と言う先生に反論したら殴られた子供時代の杢燐

5/4のかなえ先生の配信見て思い出した子供の頃の話。

 

↓タイトルの動画はこれ↓

www.youtube.com

 

このニュースに対する意見やかなえ先生のお話の感想ではないのでご了承下さい。

 

食の話になると気が重い。私は食にあまり興味が無い。

最近はそうでもないが食べないで済むなら食べなくてもいい。

人より食べる遅いし食べられる量も少ないし偏食なので食べられるものも少ない。

それでも前よりは(以下略

私はデパプリのナルシストルーが大好きなのだが、外見がド好みというだけではなくて彼の「食に対する苦しみ」が私と似過ぎて感情移入しまくりなのだ。

 

デパプリが何か、ナルシストルーが誰なのか、それはぐぐって頂きたい。

 

さて、タイトルの話ですが、まぁタイトル通りです。

 

当然ながら私は学校の給食も完食できる子供ではなかったので残していた。

今思うとあれって子供が食べきれる量だったのかなぁ。

1年だか2年だかのクラスメイトには無理矢理完食してはトイレで吐いている子とかいたけど。

生徒は完食しないと怒られるのに先生が完食しなくても誰からも怒られないのは謎過ぎた。何でだよ。

 

タイトルにもありましたが、このお決まりのお叱り文句、言われた事がある人もいれば言われた事がない人もいるでしょう。

 

給食を残す私はついに先生にこの台詞で怒られました。

「世界にはご飯が食べたくても食べられない子がいるんだから残さず全部食べなさい!」と。

私は当時からクソガキだったので以下のように反論しました。

 

「私がご飯全部食べたらご飯食べたくても食べられない子が助かるんですか」

「あまって捨てるほどご飯があるなら食べられない子達に分けてあげられないんですか」

「ご飯食べられない子を思うならご飯いっぱい食べるよりも食べない方がいいんじゃないんですか」

 

まぁもっとクソクソキッズな言い分だったと思いますけど、こんな感じの事を言ったらキレた先生に殴られました。

何でじゃ。

 

怒るのは分かる。私も打っていて「こんなガキおったらキレるわ」と思う。

 

でも同時の私には「給食食べられなくて辛い」の気持ちがあって、助けて欲しくてなんとかしたかったのに、でも先生は「食べられない子もいるんだから!」という謎理論を繰り広げるばかりで私の苦しみに1ミリも寄り添ってくれなかったんですよね。

何処か遠い国の子供達の事は憐れむ(フリをする)のに、目の前にいる生徒の事は何も考えてないんやんけこの大人は!と思っていた。

ご飯を上手く食べられない子供の問題から逃げないでくれよ大人よ。

 

そんな私にも給食における得意分野はあった。

私は「子供が嫌いな野菜」の殆どを食べられる側だったのだ。

ピーマン、にんじん、トマト、タマネギ…野菜が好きだった。

食べられなかったのはお肉。ぱっさぱさで硬い肉が好きではなかった。

4年か5年の頃か、お決まりの「完食出来なければ居残り」が弊クラスでもあったのだ。

隣の子の皿を見れば野菜が残っている。私の皿には肉が残っている。

その瞬間、私の中で悪魔的閃きが爆誕したのだ。

 

「わたしそれ(野菜)食べられるから、これ(お肉)食べて?」

 

そして取引は成立したのだった。

これはクラス内に徐々に広まって行った。

何を咎められる事がある?この取引で誰が傷付くと言うのだ?

この闇取引のおかげでうちのクラスには給食食べられなくて号泣している生徒はいなかったと思います。たぶんいなかったな。

 

栄養バランス考えられている給食だから、本当は交換とか駄目なんだけどね。

駄目なんだけど「全部食べられるまで帰れません」は教育でも躾でもないんよ。

それもう罰じゃん。

 

「好き嫌いしないで何でも食べる」はとても大切な事だと思うし、好き嫌いない方が食事が楽しいと思うし絶対その方がいい。

10個くらい何でも願い事が叶うよって言われたら1個は「丈夫ででかい消化器官と丈夫な歯と顎が欲しい」って言うわ。…いやこれ3個は消費するな。

けれど「好き嫌いなく何でも食べる」よりも前に「食べる事が好きになる」の精神を育てるのってめちゃくちゃ大事だと思う。

そもそも食べることが好きにならんと「好きな食べ物」が増やせない。

 

先にも言ったが私は食に興味がない。

なくはないが「食べるの大好き!」ではない。

今は外食も完食できる程にはなったけれど、昔はそれが出来なかったので苦痛極まりなかった。

少食をからかわれる事もしんどかったし、たぶんいっときめちゃくちゃ病んでいたねマジで。

 

でも食べるの好き寄りになったのは、なんとコロナ禍真っ最中の事なのだ。

職場でもストレス特大、オタ活もままらない、マジでどん底だった私はふと「お肉食べると幸福感を味わえる事は科学的に証明されている」という単語を思い出したのだ。

そんな私は何をトチ狂ったのか1皿3000円のステーキの店に入ったのだ。

食えないなら食えないでまぁいいかなぁ…などという、マジで狂った思考だったのだが、今思うとそこまで追い詰められていたのだと思う。

結果どうなかったかと言うと、めちゃくちゃおいしかったしめちゃくちゃ元気になったしめちゃくちゃ幸せな気分になった。

それに味を占めた私は(文字通り)結構外食が好きになった。

今思えば遠征できなくなった分新しく見付けた趣味だったと思う。

…こんな事をやり続けていたのでコロナ禍の私は最高で10キロは太った。

 

デパプリのキャッチコピーは「ご飯は笑顔!」なのだが、これは結構当たり前、の事ではない。

デパプリが凄いのは作中できちんと「食における壁」も描いている。素晴らしい。

 

ご飯の件に限らず、私は子供の頃はわりと暗くて、大人になってから色んなものが楽しくなったタイプ。

それは私自身の努力だったり、人様から頂いたきっかけだったり、偶然のような奇跡と奇跡のようが偶然が重なった結果であったり。

幸いにもあまり引き摺ってはいないけれど、これは私の運がいいからだと思っている。

 

正直言うと私は子供が好きではない。苦手です。どう関わっていいか分からない。

けれども全ての子供は幸せな人生を歩む為の努力と学びを得るべきだと思うし、大人は子供を守るべきだと思っている。

人生は大人になってからの方が長い。だから子供のうちに「より良い人生を作る術」をひとつでも多く吸収しておくべきだと思っています。

それを助けてあげられるのは大人だと思っている。

とはいえ私は教育者という立場ではないのだけれども。

でも街中で遭遇した子供を助けてあげたり、親切にしたりする事が出来るからね。

別に私の事を讃えよ!とは言わんよ。どうでもいい。そんな事は。

今は分からなくてもいい。伝わらなくてもいい。覚えてなくてもいい。

でも、君がいつか大人になった時にね、何処かの誰かに返してあげられるヒトであってくれますように、と願います。