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映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」感想

※この感想をお読みになる前に最初のお願い※

あくまで個人の感想であり、特定の国、宗教、職業、法律、人種、性別、歴史、その他について批評する意図はございません。

当ブログの文章を引用しての特定の事象の批判等も固くお断り申し上げます。

繰り返し申し上げますが、ただの個人の感想です。

 

gaga.ne.jp

 

「お、イランが舞台の映画なんて珍しいな~ポスターもなかなか雰囲気出てるな~よ~し見てみよう~」という軽い気持ちで観たらものすごい作品を拾い上げてしまった…

いやでも自分で言うのもなんだけど、こういう作品を発掘する勘の良さ、なかなかだと思う。

 

イランの聖地マシュハドで起きた連続娼婦殺人事件にまつわる物語…物語と書いて実話と読む。

このあらすじを見た時に「お、中東版のJTRか?」と思ったのですが、なんと2000年-2001年にイランで起きた本物の事件を題材にしているらしい。

(JTRも本物の事件ですが)

23年前なんてつい最近だ。離れた国とは言え、そんな恐ろしい事件が起きていたなんて知らなかった…

 

犯人が誰か、という謎を解き明かすものではないので誰が殺人犯なのかはすぐ分かる。

焦点はそこではない。この作品はミステリーやサスペンスではない。

私がこの作品で一番恐怖を感じたのは「16人もの娼婦を殺害した人間が英雄視されて祭り上げられる」というもの。

これも映画だけの創作ではなく、実際に世間の反応がそうであったらしい。

娼婦は聖地を穢す存在、その娼婦を殺害し、街を浄化した男を殺人鬼ではなく「英雄」「救世主」とする。

 

宗教的観点や国家的観点から娼婦という職業が良しとされていないとしても、それでも排除されていい筈がない。

彼女達には彼女達の人生があり、必死に生きていたのだ。

 

あの民衆が「彼は犯罪者ではなく救世主。だから釈放しろ!」と叫び立てるシーンは今思い出しても背筋がゾッとする。

この人間の心理が一番怖かった。決して創作の世界の話ではないからこそ。

これを「ただの遠くの国の出来事」とは思えない。

宗教観が違うから、文化が違うから、言語が違うから、だからそういう心理に至る、というわけではないと思う。

そんなものは関係なく「人間」であるなら誰にも湧き上がる恐ろしい感情のように思える。

 

強い言い方になるかもしれないけど、こういった現象には人間の根底にある「問題の解決手段として一番簡単で早いのは暴力」という心理・思考を感じてしまう。

 

例えばネット社会における誹謗中傷。

もう聞き飽きた言葉ではあるが「誹謗中傷は良くないが攻撃される方も悪い」なんてよくよく聞く。

これは完全に暴力の肯定だ。口では「良くない」と言っているが、本質では攻撃そのものを肯定している。

相手が攻撃されるだけの理由、攻撃をしてもいい大義名分、どれだけこじつけであろうともそれを求めて欲しがっている人達が多いのだ。

大なり小なり。それが恐ろしいし、とても悲しい。

そしてそう言った心理は私の中にもきっとある。

 

もう一方の一面、この作品では男尊女卑が徹底的に描かれている。

女性ジャーナリストが予約していたホテルの宿泊を拒否されたり、警察からセクハラ・パワハラ発言を浴びせられたり…もうとにかく酷い。

そしてこの映画は、殺人犯の息子が父親がどんな風に娼婦を殺害し、遺体を遺棄していたのかを自分の妹を巻き込んで説明するインタビュー映像で締められる。

…これもまた思い出すだけで具合が悪くなる。

 

私はこれまでの人生で「女だから不遇の扱いを受けている」と感じた事はあまりない。

まぁ馬鹿にされる事は多かったが、それは女だから云々というよりは私自身の振る舞いとかそういうものに軽んじられる要因があったような気がする。

ようは私自身がわりと自分で自分の事を「なめられやすい」と思っている。

思ってはいるが、私自身そうであった方が都合が良いと思っている事も無くも無いので、私のことをなめている人達の事を私も上手く使っているのでそれは引き分けと言った所だ。

 

あまりこういった話題には触れたくはないのだけど、せっかくの機会なので少し語らせて頂こうと思う。

昨今飛び交う「女性蔑視・差別」というものには、ああ、呪いだなぁ、と思う事が多い。

確かに「女」だから、という理由で馬鹿にされたり軽く扱われたりする事は少なくはない。

何か事件が起きると被害者である女性に原因があったのかのよう糾弾される事も多々ある。

それは非常に腹立たしく、許されるべき事ではないし、現状のままで良いはずがない。

 

とはいえ、たまに思う事がある。

「女だからって差別をするな!」と感情的に声高に叫んだ所で、何も伝わらない。

感情的になってヒステリックに「女の扱いが悪い!」と喚いた所で何も解決しないどころか悪化するだけな気もする。

怒りたくなる気持ちも分かる。でもそんな事しても結局は「これだから女は」と言われるだけだ。

女性が悪く扱われるのは同じ女として不愉快ではあるが、男女関係なく感情的にヒスっている人間は見ても聞いてもしんどい。

それに性別における固定観念での苦悩・苦痛は女性だけではないでしょう。

男性の苦労は私には分からないけれど、何の苦労もないわけないと思う。

「男性でもあり女性でもる」という人にはそうあるだけの苦悩が、「男性でも女性でもない」という人にはそうあるだけの苦悩が、それぞれあるのだと思います。

 

あらゆる人間は決して同質ではない。この世界はあらゆる異質同士でされている。

そしてそれは同質になる必要はない。なれもしないのだから。

けれども同等ではあるべきだと思う。…この辺は私の推しVのかなえ先生の受け売りです。

 

異質同士ではあるがゆえに、完全に理解し合う事も不可能だと思っている。

そして理解する必要もないと思っている。出来ないものは無理にしなくていい。

けれどお互いを労り合う事はできる…という、これは石川智晶さんのお言葉。

 

こうであるがゆえにこんな被害に遭って来た、と訴える事は必要ではあると思う。

でもそればかりを主張していたのでは何も変わらない。

過去の出来事だけを主張していても現在も未来も変わらない。

 

「女性蔑視」が存在する現実を正面からきっちり受け止める事は大切だと思う。辛くて苦しいけど。

そうしないと何がどう問題で、その問題をどう解決すべきなのかを考える事が出来ないから。

そして問題解決に必要なのは「敵」を排除する事ではない。

大きい問題を解決する為には多くの「味方」つまり「仲間」が必要です。

昨今、あらゆる問題があったり苦悩があったり、敵を攻撃したがったり敵を増やしたがったりする人達が多いなぁ…と感じます。

平穏に幸せに暮らしたい筈なのに、どんどん争いを激化させて平和平穏を自分から遠ざけてやいないかなぁ…とか思っちゃったりする。

人生は戦い、ではあるけれど。幸せになるには努力が必要だけど。

でも正しい努力じゃないと得たい結果は得られない…難しいね。

綺麗事だけじゃ生きていけないけどね。

でも敵視したり攻撃しているだけじゃ、永遠に幸せは得られないと思うんだよな…

 

映画の感想と言うより、世界や社会について色々考えて込んでしまった思考の整理になってしまいました。

 

最後まで読んで下ってありがとうございます。