ブログ引っ越したらこの記事も引っ越しさせたいので再再掲載くらいです。
(2019.07.16に初投稿したツイートです)
以前マシュマロで頂いた質問をこちらにまとめました。
ツイッターに投稿した文章をそのまま(一部修正)して載せております。
長らくお待たせいたしました。羽生選手に関するマシュマロありがとうございます。
現行ルールではSPFS合計しても最長約7分演技時間ですがこれからの回答文は7分では読み切れない事をご了承下さい。
羽生選手との出会いは2014年8月の24時間TVです。
それまでフィギュアにもスポーツにも興味が無かった私は、というかありとあらゆるスポーツがでーきらいだったのです。
何故か、勝った負けたという事と順位付けという物事が超超超苦手だったのです。
流石に世間知らずの私でもあれだけ話題になった五輪金の羽生選手の事は知っておりました。でも顔はちゃんと知らなかったのです。
そんな時たまたま偶然つけたらやっていた24時間TVで東北を訪問しているメガネの割とイケてる若者が映っていました。
それが羽生選手でした。
そこで初めて私は羽生選手が仙台出身だったこと、3.11を経験したことを知りました。
東北の人々と言葉を交わす羽生選手から目が離せませんでした。
そして始まったスペシャルアイスショー、あの時の衝撃は今でも覚えています。
この世にこんなにも美しいものが存在するのか…と。
そして羽生選手のスケートをもっと見たくなった私は軽い気持ちで14-15シーズンを追いかけましたが、まぁ全然軽くなかったですね!!!
それでも興味が増すばかりで観るのをやめようとは微塵も思わなかったのです。
15-16シーズン、ここで「天と地のレクイエム」を目にしました。初めて観た時涙が止まらなかったです。
私はずっとこういうものが見たかった、求めていたものはこういうものだった、と思ったのです。
震災をテーマにしたEXプロでした。
それまでの私は震災をテーマにした創作物に懐疑的というか否定的でした。
前を向こうとか希望を持とうとか心を一つにしようとか、そんな事を謳うものを受け入れ難かったのです。今でもそうです。
でもこの「天と地のレクイエム」だけは他の何とも違う事を思えたのです。
怒っていい、悲しんでいい、許せなくていい、辛くても苦しくてもいい、無理はしなくていい、明るくなろうとしなくていい。
そういう気持ちになれたのです。ぐっさりと刺さった棘がすっと抜けるような思いでした。
羽生選手のあの「天と地のレクイエム」に出会わなければ私は震災の傷と向き合う事は出来なかったでしょう。
人生で一番暗く苦しい経験から救い出してくれたのが羽生選手です。
作曲の松尾泰伸さん、振付の宮本賢二さんにも感謝でいっぱいです。
もう一つは「勝利を掴む真の努力は大敗北を知らずには出来ない」と教えてくれたから。
忘れもしない16年の世界選手権、前年のGPFで歴代最高得点を叩き出した後にも関わらずFSで大失敗して優勝を逃しました。
完敗にして大敗北でした。私は生まれて初めて悔しさで爆泣きしました。
そこで痛い程苦しい程知ったのです。勝利とは、頂点とは、決して手に入るべくして入るものではないと。
望んでも望んでも掴めない。掴もうとしても遠ざかる。それが金メダル、それが勝利である、と。
私が羽生選手に完落ちしたのはきっとあそこだと思います。
大敗北の痛さ苦しさ悲しさ腹立たしさ悔しさ、でもそれを知ったから勝利は尊い宝なのだと見せてくれました。
結果を得る為には努力が必須、勝利は確定されたものではない、けれど望むものの為には努力が必要である、と見せてくれました。
その後は17年世界選手権でのSP5位からの大逆転勝利、怪我を経ての五輪連覇、と次々と奇跡のような勝利を見せてくれました。
決して諦めず戦う事の大切さを羽生選手から学びました。
でなくば職場の地獄を戦い抜けませんでした。悔しい!って感情がそれまでの私には無かったので…
めっちゃ長くなりましたね。これで終わりにします。羽生選手は私の人生を良い方向に変えてくれた人、希望と勇気を教えてくれた人、心から尊敬している人です。
ゆえにスーパーヒーロー、ユヅル・ハニューなのです。以上です。
長文読んで下さってありがとうございました。