こちらの感想です。
もうず~~~っと甲斐田さん(ハルシロ)の事ばっかり考えていて「なにこれ恋?」みたいになっていた(すぐそういう事言う
ようやく色々まとまって来たので感想です。
本当にただの感想です。最初から最後まで私の考えしか詰まっておりません。
たぶん出演ライバーさんが好きな方がこの感想文読んでもなんもおもろくないと思うので、閲覧注意でございます。
別に悪口書いているわけではありませんが、かと言って特定のライバーさんの事を特別賛美しているわけでもないのでその点もご了承下さい。
賛美しているといえば顔の良さくらいです。顔はいい。それはそう。
注意点としましては、私の最推しのにじさんじライバーさんは不破湊さんです。
なので不破さんを見ていると甲斐田さんもよくよく見る機会が増える…という、甲斐田さんに関して知っている事がものすごい少ないのでその点もご了承下さい。
タイトルにもありますが本編の超ネタバレがありますのでご注意下さい。
無いとは思いますが過度な布教コメント等はご遠慮願います。
知りたい事があったらこっちから聞くのでその時はよろしくお願い致します。
ご了承下さいがいっぱいで申し訳ありません。
推しじゃない人の感想書くので緊張しております。
それではどうぞ。
まず最初に私なりのこのストーリーの解釈をお話しておきますね。
私は「身体を譲る」選択をしますが、でもそれは人として道を踏み外した行動でもあると思います。
世の道理として最も正しい選択は「身体を譲らず、そして父親がやっている事を止める」事だと思います。
非人道的な手段での救済とそれに加担する事は正義でも美徳でも何でもない、と私は思う。
だってそうでしょう。
正道を貫くなら、起きた事を受け入れてアユムをあるべきままの死を迎えさせてあげなさい、と父親の行いを止めるべき。
どれだけ残酷な現実でもそう諭すのが一番正しい行動だと私は思います。
それでも私が「譲る」選択をするのは「暫定寿命3年と言われたらそれはそれで残りの人生丁寧に生きられそうだから」という理由から。
そう、私は自分の事しか考えていない。
ついでに医者のこと4000回は殴るわ。
でも真実を知ったアユムに4000回殴られてもいい。
だって大人二人の選択でアユムにどれだけの業を背負わせてしまうんだか。
この子が真実を知った時、怨まれても仕方ないな、とも思う。
アユムの命の在り方を勝手にねじ曲げてしまったのだから。
身勝手な願いかもしれないけど、アユムにはどうか美しい人生を歩んで欲しい。
あの子の人生で怨む人間がいるとしたらたった一人、私だけでいい。
父親のことは許してあげて。代わりに私が5000回殴っておくから(おい
などという、私の解釈と答えを踏まえてのハルシロさんの感想です。
正直甲斐田さんが「譲る」を選択したのビックリしたんですよね。
父親に説教するんかと予想していた(つまり私が思う“正しい選択”をするかと思っていた
逆に悪事(敢えてこの言い方しますが)に加担するの驚いたわ。そっち!?っていう。
なので、私は逆にこのカタシロ公演を見て甲斐田晴の事がますます分からなくなった。
なんなのこの人!?いや、元々よう知らんのですが。
因みに私は9割の人間が「譲る」を選択すると思います。
あの状況で見捨てる方が難しいんじゃないのかな。
おもしろかった、というか更に驚いたのは「僕が3年以上生きられるように貴方も努力して下さい」という医者にかけた言葉。
よくそんな状況でそんな前向き事言えるよねぇ。その発想どっから出て来るの!?って驚きの連続だった。
いや、マジでハルシロさんから出て来る発想とか言葉が私の考えに一切ないものだったので、すごいおもしろかった。
未知の感性。異星人を見ているみたいだった。いや、異世界人なんですけどね甲斐田さん。
ハルシロ公演観てから甲斐田さんの事を思うとなんか胸がザワザワして…エッ、これって恋…!?キュン…!
いや、そんなわけないだろ。そんな、そういうんじゃないんだよ。
違和感というわけじゃないんだけど、かと言ってすごい感動したとかそういうわけでもなくて、この感覚をどう名言化していいのか分からなかったんだけど、今日やっと思いついた。
この人は人間に諦めてないんだなぁ
ということ。
これだよこれ。
私の中にもう微塵も無くて、でも甲斐田さんの中にはあるんだろうなぁ、と思ったもの。
人間という生き物に、諦めを持ってないんだろうな、って思った。
眩しいわ。私は人間に対して諦めしかないよ。
カタシロ含め、普段の配信で聞く話とかオリジナル楽曲とか、そういうあくまで私が見聞きした断片から思った一方的な解釈なんですけども。
「人の事など本質は分からない」というのは、私が人を語る上での心構え。
これでハルシロ=甲斐田晴という人の人生観を理解したとも思ってないし、解像度が上がったとも思っていない。寧ろ下がったね。
というか上げないようにしています。
本人は真っ直ぐな性根で話していたとしても、受け取る方(つまりこの私)が歪んでいたらそれはもう受け取り手の解釈であって本人の感性とはもうかけ離れてしまっているから。
私も大概人間として終わっているのですが、そんな私が欠片程に残している誠意としては【深い(深そうな)思考や人生観の話を聞いてその人の事を理解したと思い込まない・決め付けない】なので。
そう思うのは私自身がそうだからなんだろうな~
その人がそうである、という正解なんてその人にしか分からないよ。
誰しも全く同じ人生を歩んでいるわけではないのだから、その人の人生観や感性なんてどれだけ共に過ごそうがどれだけ多くの言葉を交わそうが、他人には伝わりきるわけがない。
私のことを知ったつもりになって欲しくない。
だから私は他人を知ったつもりにはならない。
そんなわけで、私の甲斐田さんの印象は上のように「人間に諦めてない人」
本人が実際どうだかは分かりませんが。
これが甲斐田晴の本質かもしれないしそうではないかもしれない。
観測者が望む姿の「甲斐田晴はこうである」という様を見事に演じきっただけかもしれない。
逆にこれこそが嘘偽りない本性かもしれない。
私は「かもしれない」だけにしておきましょう。
その方がVTuberという存在を見ている心構えとしては楽なので。
だからってじゃあ私もそれ(「人間を諦めていない」という部分)に感化されたというと、そうでもない。
そんなわけないだろ。私の人間への諦めは相当根深いぞ。
でも不思議なんですよねぇ甲斐田晴さんてねぇ。
私は感性とか人生観とか諦観とか達観とか、全然違う人はほぼ異物なのでだいたい苦手か嫌いか近付かないかどれかなんですけど、甲斐田さんはそこんところないんですよね。
推しと仲良しな人は私も好き!スタンスだからなんだろうか。
それとも私が歳取って丸くなったからなのか…
芯は強そうだし自分の信念は曲げない頑固そうな所もあるけど、でもそれで人を傷付けるような鋭利さは感じない。
厭味がないのかな。そんなにギラギラしてない。それが甲斐田晴という人の美徳なのでしょうか。
テセウスの船の話、おもしろかったなぁ。
あれも私には新鮮な考えだった。
私は真逆の考え方だった。
魂と時間の話ね、あれは少しズシンと来たかもしれない。
これを人間に置き換えるとどうなんだろう?と考えてみた。
例えば価値観、感性、善悪、倫理観、優先順位、死生観、これをパーツとする。
長い人生の中で生まれてから死ぬまでそれらが全て変わらず同じままでいる人間などいるわけがない。
それらが変わった時、それは同じ人間と言えるのか否か。
これも私も“否”です。いや、“否”だった。
私は前に少し話したかもしれないんですけど、3.11より前の自分の価値観や死生観を思い出せないんですよ。
なんも覚えていない。あの出来事の前、自分が何を大事にして何を考えて生きていたのか覚えてない。思い出せない。
それが欠落したのか、それとも原型を留めていないほど変わり果ててしまったのか、それすらも分からない。
だから私はあの出来事より前の自分はもう何処にもいなくて、あの時を境に自分は一度死んで今の自分は違う自分、と思っていた。いたのだけれど。
あの魂と過ごして来た時間の話を聞いて、昔の自分と今の自分をそこまで切り離さなくてもいいのかな、と思った。
そこはちょっとだけ救われたかもしれない。救われた気がした。気がしただけでじゅうぶん。
とうに人間に諦めている、と言いつつも、人間に諦めてなさそうな人を見てそれを美徳と言えるだけの感覚が私にも残っていたのか…と、ちょっと良かったと思いました。
なんかすみっコ映画やプリキュアで泣く自分にビックリして「これが…涙…!?私は…泣いているのか…!?」って世界を滅ぼそうとしている魔王みたいなこと呟いちゃうみたいな、あの感覚思い出した。
まとめ:甲斐田晴くんは、すみっコもしくはプリキュアだったのかもしれない。
最低なまとめですね。
因みに甲斐田くんはニーア配信が一番好きです。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。